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ううう、昼間は暖かかったのに、夜は冷えるな~。
かといって、エアコンの暖房は喉が痛くなるし、ボーっとするからあんまり使いたくない・・・。
仕方がないので、ブランケットに包まっております。(笑)
さてさて、入院篇の続きでございます。ようやく、ここからが入院生活だ!


10月22日の午後、うっかり入院することになってしまったアタシ。
ただの診察と点滴だけだと思ってたので、もちろん入院の準備なんてしている訳もなく、貸し出しの病衣を着せられて、そのまま病室へ。
ERの女医さんが気を利かせてくれて、トイレに一番近い6人部屋の一番入り口側のベッドを用意してくれた。

付き添いの母と二人で、病棟の看護師さんから入院にあたっての説明を受けることに。
持ってきたほうがいいものとか、入院の手引きみたいなファイルも用意されてたので、特に質問もなく話を聞いてた。
その間に別の看護師さんが、ベッドネームと名前入りのリストバンドを持ってきて、ベッドヘッドとアタシの腕に装着。
リストバンドには名前以外に生年月日と黄色いラインが入っていて、看護師さんは「この黄色のラインは転倒度2ってことです」と言った。
はて、転倒度って何かしら?と、アタシも母も意味がよく判らなくて、生返事を返すと更に詳しく説明してくれた。

S医大では入院患者さんの状態を把握しやすいように、且つ安全に入院生活を送って貰える様に『転倒の可能性の度合い』をレベルで表しているそうで、1は1人で歩いて大丈夫、2は要付き添い、3は移動時は車椅子要なんだとか。
要するにアタシは、高熱と食事の摂取が出来ていない=ふらつく可能性大=転倒する可能性も大=転倒度2ということらしい。

そんな訳で、トイレも含めてベッドから降りる時は必ずナースコールをするようにと言われてしまったのだ・・・。
でも、駐車場からERまでも歩けたし、家では自力でトイレに行けてますけど・・・。
とは、もちろん言えるはずもなく、その場ではとりあえず頷いといた。
が、実際にトイレに行きたくなった時には、ナースコールで看護師さんを呼んでるような余裕がある訳ないので、1回目に行くときだけ通りがかりの看護師さんに声を掛けて、1人でトイレに行く許可を無理やりもぎ取ったので、この黄色いラインはあんまり意味がなかった。(笑)

入院したのが日曜だったから、担当の先生は明日決まります、と最後に言われて説明は終わり。
母は大慌てで自宅に戻り、入院の支度を整えてくれた。
が、あまりにもアタシの部屋が散らかっていて、どこに何があるのか判らず、本当に取り急ぎ必要なものしか見つけられなかったらしい。
初日はアタシ自身も何が必要なのか判らなかったし、2~3日で帰れるつもりで大して荷物も要らないだろうと思っていたから、別に困らなかった。
ご飯も食べられないし、脳味噌飛び出そうなくらい眉間に圧迫感があったので、1日の殆どは意識が飛び飛びだったしね。
そんな訳で入院してから2~3日はけっこう記憶が抜けてて、所々しか覚えてない。

初日は食事代わりの点滴と、抗生剤の点滴を受けるだけで、特に薬の処方はなし。
抗生剤を入れてるにもかかわらず、熱はあいかわらずだったので、氷枕と額に巻くアイスノンを借りて耐えてた。
が、熱が高いせいでアイスノンが溶けるのが異常に早い・・・!!
常に額が冷えてないと、眉間の圧迫感でいても立ってもいられなくなるから、溶ける度にナースコール。
40分毎に1回くらいのペースで交換してもらうのが一晩中続いて、合間にトイレ行ったりもしたので、この日は殆ど寝られなかったのだった。


うー、なかなか終わりませんね・・・・。
まだまだまだ続くんですが、続きはまた後ほど。
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今日は退院後、初の診察日でした。
ついさっき帰ってきたんだけど、待ち時間が長くてグッタリ・・・。(;´ρ`)
診察の詳細については、入院篇の最後にするとして、まずは続きから。

深夜のERで点滴を受けて帰宅してから、10時間後。
再び点滴を受けにERへ向かったアタシは、まだ熱も38.5℃あってフラフラだった。
しかも深夜のERから帰ってきた直後に、けっこう派手に下血していたのだ。
それでも、とりあえず病院にかかった、先生に診てもらったという事実だけで、気が楽になっていて、そんなに深刻には考えてなかった。
うまくいけば、来週には仕事にいけるんだろうな~と思ってたくらい。

昼間のERで診察してくれたのは女医さんで、かなりサバサバした感じの人。
引継ぎはされているんだろうけど、やっぱり1から問診し直されて、半ば朦朧としたまま昨夜と同じ事を繰り返すアタシ。
その後に触診で「うーん、ちょっと腫れてるかなぁ・・・?お通じは、どう?」と聞かれたので、下血のことを告げると、「そっか・・・」と昨夜撮ったレントゲンを暫く見つめる女医さん。
「今日はどなたか付き添いの方はいるの?」と聞かれたので、母がいますと言ったら、「じゃあ、お母様にも一緒に聞いてもらった方がいいかな?」と母が診察室に呼ばれた。

診察台に仰向けになってると、熱のせいか蛍光灯の光が妙に眩しくて、目が開けれらなかった。
この頃から鼻水と咳も出始めていて、息苦しいし、熱は辛いしで、かなりボンヤリして先生の説明を聞いてた気がする。

昨夜の診察結果と概ね同じ事を言われて、さらにもしかしたらインフルエンザの可能性も考えられるから検査をする旨の説明。
そして「下血もあるってことだから、このまま入院した方がいいと思うんですよ」と、サクッと告げられた。
え?入院??だって、昨日はしなくっていいってメガネ先生が・・・・???
すると女医さんは、「昨夜は下血も治まってるって話だったから、そういう説明をしたんだと思うんだよね」と、下血している事が判った今は、このまま帰す訳には行かないと言うのだ!!∑(゚д゚lll)

嘘~!?やっぱり、鎮痛剤なんて飲むんじゃなかった・・・・。 

下血したのは、耐え切れずに飲んだ鎮痛剤のせいだとアタシは思い込んでいたのだ。
が、実際はきっかけにしか過ぎなかったようで、腸内の炎症がいつ下血してもおかしくない程度には悪化していたらしい。
ま、もちろん飲まないほうが良かったには違いないけれども・・・。

もう、自分に腹が立つやら、高熱と脳味噌が破裂しそうな圧迫感で辛いやら、息苦しいやらで、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
勝手に涙が出てきて、つられて鼻水も出てきたので、顔もぐちゃぐちゃ。(苦笑)
先生が驚いて「大丈夫?お腹が痛い?」とか優しく声を掛けてくれることにすら、情けない気持ちで一杯になってしまった。
どうしても入院はしたくないと、いい年した大人なのに泣きながら訴えるアタシに困り果てた先生は、「でもねぇ、この状態で毎日病院にくるのも辛いでしょ?」と母とアタシに言った。
母も「そうですよね・・・・、私も仕事がありますし・・・・」とポツリと言うと、先生も「そうですよねぇ」と一言。

そうだった、アタシ1人じゃ通院できないんだった!!(|| ゚Д゚)ガーン
かといって、母に毎日仕事を休んでもらうなんて、そんな迷惑をかけられる訳がない。
嫌でも何でも、もうこうなった以上は入院するしかないんだな・・・と、覚悟を決めた。
「・・・・・・・・・・わかりました、入院します」
もう何がなんだか判らないんだけど、悲しくなっちゃってて、しゃくりあげながら答えた。

そこからは怒涛の勢いで入院手続き、インフルエンザの検査、CT検査と順繰りに送られて、気がつけば貸し出しのパジャマを着せられて、車椅子に乗っかっていた。
腕には点滴もつけられてて、どっからみても入院患者そのもの。
あっという間に病棟の手配も済んで、ERの看護師さんから病棟の看護師さんへバトンタッチ。
そして、約2週間の入院生活が始まったのだった。

とりあえず、ここまで。続きは、また後ほど~!!
さて、続きです。

どこの病院もそうだと思うんだけど、深夜の救急受付って独特の雰囲気がある。
深夜の救急ってホントに救急の人と、単に昼間は混んでるからっていう理由で来る人がいるからなのか、受付の人の態度が妙にそっけない気がするんだよね。
この時も初めのうちは、「一体、なんなのさ?」的な扱いだった。

とりあえず、UCで元々この病院に罹っていることと、熱が10日以上続いていることを伝えると、受付のおじさんはこう言った。
「え?今更?なんで10日も我慢してたの?」
今更って言葉に引っかかりはしたものの、確かに10日も我慢してたのは「なんで?」と聞かれても仕方がない。
何とも答えようがなくて黙ってるうちに、おじさんはテキパキとERに連絡を入れてくれて、すぐに診察をうけることに。
ま、案の定おじさんの伝達内容は「10日も熱が続いてたそうなんですが、とうとう我慢し切れなくて来たみたいですよ」だったけれども。(苦笑)

ERの診察室には2人のお医者さんがいて、一目で研修医と指導医なんだなとわかる雰囲気。
研修医と思われる人の問診に答えている間に、指導医らしき人が一瞬いなくなったと思ったら、なんと3人目のお医者さんが登場。
どうやらUCと告げたことで、3人目の先生は呼ばれたらしい。
看護師さんが熱やら血圧やら測ってる横で、研修医に色々訊ねる3人目の先生はスキンヘッドに眼鏡という結構強烈な外見の先生だった。(以下、メガネ先生)
結局、メガネ先生からも同じように問診を受けることに。

熱は続いていたけど、下痢は最近までなかったこと、熱に耐え切れずに市販の鎮痛解熱剤を飲んだら、下血したけど今は治まってること、熱が高くなってからは、殆ど食事が摂れていないことなんかを伝えると、とりあえずレントゲンを撮ってみることに。
血液検査もするからと採血された後、すかさず車椅子に乗せられてレントゲン室へ。
レントゲンと血液検査の結果が出るまでに1時間くらいかかるからと言われ、その間に診察室で点滴をすることになった。
「点滴が終わるまでに2時間くらい掛かりますよ」と言われたので、付き添ってくれた母も診察室で待つことに。
アタシはすっかりグッタリしてて、意識も飛び飛びな出来ない状態。
それでも病院に来たんだから、きっとすぐに良くなるはずだと安心した気持ちにもなってた。

あっという間に1時間が経って、メガネ先生が検査結果を説明しにきてくれた。
レントゲンを見る限り、UCが酷く悪化しているような様子は見受けられないし、血液検査でも炎症値(CRP)が多少上がっているものの極端な上昇ではないとの事だった。
入院する必要はないと思うけど、それでも高熱が続いてるっていうのは気になるから、もう少し詳しい検査をしてみないと何とも言えないと言われた。

説明が終わった所で処置室に移ることになって、抗生剤の点滴も併せて受けることに。
ところが、この抗生剤が始まって暫くすると、顔に発疹が・・・。
体調が悪い時に顔だけに蕁麻疹が出るコトもあるアタシなので、別に深く考えてなかったんだけど、どんどん増え始めてしまった。
それでも別に痒いな~と思うくらいで、出来ては消えていくから、そのまま放置してた。
点滴が終わって、看護師さんが様子を見に来てくれた時に、「あの、なんか発疹が出ました」と一応報告したら、先生達が大慌てで飛んできた。

一番初めに来たのは研修医の先生で、今までに薬で蕁麻疹が出たことは?と聞かれたので、「ペンタサの飲み始めに少しだけで、後はありません」って答えたら、それっきり質問を思いつかなかったみたいで、ただ顔に出来た消えかけの発疹を触ってたのが、何か不思議だった。
暫くしてメガネ先生と指導医の先生も来て、さっきの質問の他にいくつか聞かれたんだけど、既に何を聞かれたのか覚えてないんだよね・・・。
なーんだ、やっぱりコレも聞かれんじゃん!とか思った記憶だけは残ってるんだけど、肝心の質問そのものは忘れてしまった。(苦笑)

結局、あまりにも消えるのが早かったせいで、抗生剤と発疹の因果関係はわからず、おそらく熱で汗をかいたせいだろうということに。
実際、10日近く熱が続いていた中で、汗をかいたのはERにきた時だけだった。
普段は汗かきなアタシなのに、家では全く汗が出なくて、それもすごく気持ち悪かったのだ。
『熱が上がる→汗をかく→熱が下がる』が普通なので、汗をかかないだけでも今考えれば十分に異常事態だったんだよね・・・。

とりあえず点滴が終わったら一度帰って、予約を入れて置くから昼間に点滴を受けに来てくださいと送り出されて、明け方に帰宅。
全然熱は下がってなくて、深夜救急に掛かっても実際は楽にならなかったけど、気持ち的にはずいぶん楽になっていて、そうとう安心しきっていた。
入院は必要ないとメガネ先生は何度も言ってたので、きっと検査したらすぐに熱の理由も判って、薬が貰えるんだろうなと思い込んでいたアタシ。
たぶん、半分以上治った気でいたね、この時のアタシは。(苦笑)
もちろん付き添っていた母も、同じ気持ちだったと思う。
この時は、翌日のER診察で即入院になるなんて、これっぽっちも思ってなかったんだから・・・。


続きはまた、後ほど。
回顧録はひとまず終了したので、ここからは最近のお話。
一年近くUC患者として過ごして、まぁまぁ落ち着いた生活を送ってたのに、ついこの間まで入院してました。
この入院でペンタサを中止して、プレドネマ注腸に変わったんだけど・・・。

事の起こりは、9月の半ば。
気温差が激しくなったせいか、仕事の環境が変わったせいか、風邪を引いてしまった。
風邪はUCを悪化させるので、十分に注意してねと言われてたんだけど、注意してたにもかかわらず、あっさり風邪引き状態。
9月末の診察の時に申告して、風邪薬を処方してもらってから、良くなったと思ってたんだけど、10月に入ってからも調子が悪かった。

10月5日頃から熱が出始めて、それでもダマしダマし仕事をしてたら、12日頃には38℃を超えてしまい、会社を休む羽目に。
この段階では、2~3日もすれば熱も下がるだろうと思ってた。
が、一週間しても熱が下がらず、良くなる気配も感じられない。
それどころか夜中に熱が上がるから、1時間おきに暑苦しさに目が覚める始末。
なのに、アタシときたら次の週には診察があるから、それまで待ってみようと悠長なコトを考えていたのだった。(苦笑)

そして、10月20日(金)深夜。
とうとう熱が39.7℃になってしまい、絶え切れずに禁断の鎮痛解熱剤に手を出してしまった。
結果、熱は一時的に下がったものの、既に下り気味だったお腹は一気に急降下↓↓↓。
しかも直後に少し下血してしまったので、そろそろヤバいな・・・と感じたんだけど、これを機に熱が下がるかもしれないと、えらく間違った方向で前向きに考えてしまい、その夜は熱に魘されることもなく、久々にゆっくり寝た。

翌朝、やっぱり暑苦しさに目が覚めた。
しょせん鎮痛解熱剤は一時的なもので、薬が抜けたら38℃台に逆戻り。
これはいよいよ病院に行かなくちゃなと思ったんだけど、あいにく土曜日は午前のみの診療。
この頃には1人で身動きがとれるような状態じゃなかったから、母に病院に連れって行ってくれないかと頼んだんだけど、たまたま土曜出勤の日でどうしても出勤しないといけないと言われてしまった。
仕方がないので、週明けに仕事を休んでもらって病院に行くことにした。

ところがこの日の夜、再び39℃台の熱が出てしまい、もう寝ているコトも出来ない状態に。
頭痛ではないんだけど、熱のせいで脳味噌が破裂しそうな圧迫感が酷くて、しかも高熱があるのに寒くて堪らない。
見かねた母が、「救急で診てもらおう?絶対、その方がいいよ」と言い出し、小1時間悩んだ挙句、ようやく病院に向かったのは日付が変わって21日の深夜のことだった。

とりあえず、ここまで。
でも、まだまだ続きます。(笑)
食事&心構えの巻の中でアタシが作った、全く油を使わないポテトチップの作り方をご紹介いたします。
たぶんダイエット中にもいいんじゃないだろうか?
でも炭水化物なので、ダイエット中の人の場合は食べすぎ注意ですね。

アタシ自身はUC(潰瘍性大腸炎)ですが、きっとそれ以外の消化器疾患でも炭水化物の摂取がOKなら食べられるんじゃないでしょうか?
ただし、よく噛んで食べたほうがいいとは思います。
ではでは、以下が作り方です。

材料:
じゃが芋(好きなだけ)
塩など調味料(適当)

用意するもの:
耐熱性のお皿(浅くて広いやつがベスト)
電子レンジ
紙袋

作り方:
①じゃが芋の皮を剥いて、出来るだけ薄くスライスする。
 目安は2~3㎜くらい。スライサーがあれば、それでもいいと思います。
 ちなみにアタシは、丸ごとだとやり辛いので、半分にしてからスライスしてます。

②スライスしたじゃが芋を、耐熱皿に重ならないように並べる。
 じゃが芋同士がくっ付かないように、少し隙間を空けておく。

③電子レンジで加熱する。
 ちなみにウチのレンジだと900wで2~3分かかります。
※電子レンジの種類によっては、加熱時間がかなり違うと思うんで注意してください。

④表面が乾いたら、裏返して加熱。
 すっごく熱いのでやけどに注意!!裏は同じく900wなら1~2分くらい。

⑤じゃが芋が完全に乾燥したら、調味料を入れた紙袋に放り込む。
 シャカシャカ振ったら、出来上がり~。

ポイントはレンジでの加熱時間。
加熱しすぎるとじゃが芋のでんぷんが焦げすぎてしまうので・・・。
きつね色になったくらいか、その手前で止めて置いたほうがいいので、
特に裏返して加熱する時は、レンジから目を離さないほうがよいです。

ダイエット用に作るなら、味付けにアレンジするのもよし!
胡椒とかコンソメとか青海苔とか、コンソメは顆粒をさらに潰して入れると絡みやすいです。

見た目も味も、かなりポテトチップなので、興味のある方はぜひ一度お試し下さい。
  潰瘍性大腸炎(UC)を患っている帰蝶の 大して闘ってない闘病BLOG(笑)
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プロフィール
HN:
帰蝶
性別:
女性
自己紹介:
2005年夏に潰瘍性大腸炎(UC)と診断され、難治性の病気で特定疾患にも認定されている事を知る。
現在までにUCでの入院歴2回。
只今、2回目の入院記を更新中☆
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