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ども、こんばんわ。
今日は昼過ぎから寒くなったせいか、ダルさ全開・・・。
さて、遭遇篇に引き続いてデビュー篇なんぞを綴っていこうかと思う次第です。
当時はかなりヘロヘロだったので、覚えてないことも山ほどあるんだけども、とりあえずね。(苦笑)
個人的な回顧録でございます。よろしければ、お付き合い下さいませ。
まずは薬の話。
調子を崩してから約2週間経って、ようやく『潰瘍性大腸炎』と病名が判ったので、やっと薬も症状に対処できるものになったのに、正直ほっとした。
意味のわかんない薬を飲み続けるのも、いい加減嫌になってたしね。
自分でも病名がはっきりしてから、ネットで調べたりとかしてて、担当になったE先生が『ペンタサ』って言った時も、
「あぁ、そうだよね」と思える程度には知識もあったのだ。
この時はペンタサ錠250を12錠/1日とビオフェルミン顆粒を、とりあえず5日分処方してもらった。
その段階のアタシの知識としては・・・・
1.この病気は大腸全摘出しない限り、完治はしない。
2.ガンでも併発しないかぎり、とりあえず死ぬことはないだろう。
3.その代わり、薬は一生飲み続けなくちゃいけない。(実際は必ずしもそうじゃない)
で、薬もステロイド系とか幾つか種類があって、重症とか劇症じゃなければステロイドじゃなくても大丈夫らしい、というくらいは判ってた。
喘息の友人が長年ステロイドを使ってたので、色々話を聞いたことがあって、ステロイドは副作用が怖いな・・・と、だから『ペンタサ』で良かったなと、この時は思ってた。
まぁ、結局のところ今現在はペンタサ使えない状態になっちゃったので、プレドネマ注腸なんですけどね~。(*´д`;)
この辺りの話は、つい最近の話なので、また後日。
ペンタサを飲み始めた初日は、特に症状が劇的によくなるコトもなく、かといって副作用もなく、でも気分的には「コレ飲んでれば、楽になるんだわ~」と明るい気持ちだった。
あいかわらず、夜中に1時間おきにトイレに行くし、行けば便器の中は血の海だったけれども。(苦笑)
アレ?なんか、おかしいぞ?と思い始めたのは、確か2~3日目くらい。
顔の所々に小さく発疹が出て、軽い頭痛が出始めた。
元々、弱アレルギー体質で、調子の悪い時には何故か顔にだけ蕁麻疹が、それも一個だけできることが多かったし、偏頭痛持ちだから頭痛もあんまり気にしてなかった。
ところが4~5日目になると、発疹は治まったものの頭痛は酷くなり、尚且つ浮腫みが出てきたのだ!!
トイレに行く頻度は徐々に減って、MAX時は21回/1日だったのが、12~15回/1日くらいになったのに、そういえば尿の出が悪くなってた事にここで気がついた。
手の指先と、脚の膝から下が明らかに通常時と違っていて、指先で押すと跡がハッキリと残るくらいの状態。
ネットで調べたペンタサの副作用の中に、確か腎機能とか肝機能が弱って、尿が茶褐色になったり、浮腫みが出るって書いてなかったっけ・・・??
まだ頭痛も我慢できるし、浮腫みも歩けないとか痛いとかじゃないし、とりあえずE先生に相談するかな~と、まだ結構お気楽に構えていたんだけれども・・・。
デビュー篇・薬の巻①はここまで。
書き始めると色んな事を思い出して、ついつい長くなっちゃうんだよね~。(´-ω-`)
ではでは、また続きは後ほど・・・。
今日は昼過ぎから寒くなったせいか、ダルさ全開・・・。
さて、遭遇篇に引き続いてデビュー篇なんぞを綴っていこうかと思う次第です。
当時はかなりヘロヘロだったので、覚えてないことも山ほどあるんだけども、とりあえずね。(苦笑)
個人的な回顧録でございます。よろしければ、お付き合い下さいませ。
まずは薬の話。
調子を崩してから約2週間経って、ようやく『潰瘍性大腸炎』と病名が判ったので、やっと薬も症状に対処できるものになったのに、正直ほっとした。
意味のわかんない薬を飲み続けるのも、いい加減嫌になってたしね。
自分でも病名がはっきりしてから、ネットで調べたりとかしてて、担当になったE先生が『ペンタサ』って言った時も、
「あぁ、そうだよね」と思える程度には知識もあったのだ。
この時はペンタサ錠250を12錠/1日とビオフェルミン顆粒を、とりあえず5日分処方してもらった。
その段階のアタシの知識としては・・・・
1.この病気は大腸全摘出しない限り、完治はしない。
2.ガンでも併発しないかぎり、とりあえず死ぬことはないだろう。
3.その代わり、薬は一生飲み続けなくちゃいけない。(実際は必ずしもそうじゃない)
で、薬もステロイド系とか幾つか種類があって、重症とか劇症じゃなければステロイドじゃなくても大丈夫らしい、というくらいは判ってた。
喘息の友人が長年ステロイドを使ってたので、色々話を聞いたことがあって、ステロイドは副作用が怖いな・・・と、だから『ペンタサ』で良かったなと、この時は思ってた。
まぁ、結局のところ今現在はペンタサ使えない状態になっちゃったので、プレドネマ注腸なんですけどね~。(*´д`;)
この辺りの話は、つい最近の話なので、また後日。
ペンタサを飲み始めた初日は、特に症状が劇的によくなるコトもなく、かといって副作用もなく、でも気分的には「コレ飲んでれば、楽になるんだわ~」と明るい気持ちだった。
あいかわらず、夜中に1時間おきにトイレに行くし、行けば便器の中は血の海だったけれども。(苦笑)
アレ?なんか、おかしいぞ?と思い始めたのは、確か2~3日目くらい。
顔の所々に小さく発疹が出て、軽い頭痛が出始めた。
元々、弱アレルギー体質で、調子の悪い時には何故か顔にだけ蕁麻疹が、それも一個だけできることが多かったし、偏頭痛持ちだから頭痛もあんまり気にしてなかった。
ところが4~5日目になると、発疹は治まったものの頭痛は酷くなり、尚且つ浮腫みが出てきたのだ!!
トイレに行く頻度は徐々に減って、MAX時は21回/1日だったのが、12~15回/1日くらいになったのに、そういえば尿の出が悪くなってた事にここで気がついた。
手の指先と、脚の膝から下が明らかに通常時と違っていて、指先で押すと跡がハッキリと残るくらいの状態。
ネットで調べたペンタサの副作用の中に、確か腎機能とか肝機能が弱って、尿が茶褐色になったり、浮腫みが出るって書いてなかったっけ・・・??
まだ頭痛も我慢できるし、浮腫みも歩けないとか痛いとかじゃないし、とりあえずE先生に相談するかな~と、まだ結構お気楽に構えていたんだけれども・・・。
デビュー篇・薬の巻①はここまで。
書き始めると色んな事を思い出して、ついつい長くなっちゃうんだよね~。(´-ω-`)
ではでは、また続きは後ほど・・・。
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さてさて、続きでございます~。
これで遭遇篇は終わりなので、暫しお付き合い下さいマセ。
自宅からS医大までは、車で10分弱。
かなり近距離だと思うんだけど、いつトイレに駆け込んでもおかしくない状態のままだったから、相当ドキドキな10分弱だった。
案の定、病院に入ってすぐトイレに駆け込んで、篭ること10分。
付き添ってくれた母は、中で倒れてるんじゃないかと思ったらしい。(苦笑)
ヨロヨロしながら検査の受付をすると、次にトイレに行ったら状態を確認したいので、流さないで呼んでくれとのこと。
これがなんだかものすごく屈辱的に感じて、本当に嫌だったな・・・。
しかも見てもらったら、「まだ検査できる状態じゃないから、あと2~3回トイレに行ったら、又呼んでくださいね」ときたもんだから、ビックリ!!
もうすぐにでも検査してもらえると思ってたから、かなりショックだったし、待合のベンチに座ってるのも辛かった。
ベッドを用意しましょうか?と聞かれたんだけど、そうするとトイレにすぐ行けないかもと思って、丁重にお断りして、トイレの傍のベンチで半ば倒れこんでたワタクシ。
それから小1時間して、ようやくGOサインが出たので、検査室へ。
受付後すぐに検査着と穴あきパンツに着替えて、コンタクトも外してたので、ずーっと下見ながら歩いてたら、看護師さんに支えられてしまう羽目に。
単に裸眼の視力が両目とも0.1以下で、しかも乱視が入ってるから、ちょっとした段差で躓かないように下を見てたんだけどね。(笑)
で、左側を下にして検査台に上がって、検査しやすいように鎮静剤を入れてもらったんだけど、内視鏡検査で一番痛かったのは、この鎮静剤が注入された時だった。
手の甲から点滴の要領で針を刺されて、「薬液が身体に入る時に、ちょっと痛いけどガマンしてね」と言われたんだけど、我慢しきれずに思わず声を上げてしまうくらいで、薬液が血管を通ると電流が走ったみたいにビビビっとなるの!
現在までに計3回内視鏡検査してるけど、この時の鎮静剤が一番痛かった。
鎮静剤が効いてくると、ちょっと意識が遠のく感じで、特にこの時は殆ど意識がなかった。
一応、自分からもモニターが見えるんだけど、目が悪いせいもあってハッキリ見えないし、体力的にも限界だったんだと思う。
検査中に「大丈夫?」とか、「やっぱりご飯は食べられなかった?」とか色々聞かれた気がするんだけど、それにちゃんと答えてたのかも定かじゃないんだよなぁ。
2回目に診てくれたお医者さんが、内視鏡もやってくれたんだけど、検査後の説明の時まで誰が検査してるのか判らなかったので、「このお医者さんはダレなんだろう?やけに色々聞くな・・・」とか思ってたりした。(苦笑)
たぶん30分もしないで検査は終了。
結局、検査台から上手く立ち上がれなくて、車椅子で休憩室まで運ばれたらしい。
というのも、検査の後半はホントに意識がなかったので、いつ終わったのかも判らなかった。
気がついたら点滴してて、リクライニングチェアに寝てたって感じ。
一瞬、どこにいるか判らなくてキョロキョロしてたら、看護師さんに「ゆっくり立って、立てそうなら着替えて待合で待っててください」と言われたので、点滴を抜いてもらって着替えてから待合室へ。
検査が終わってから、どのくらい時間が経ってるのか全く判らず、とりあえず待合のベンチで待ってる母を探して聞いてみると、1時間以上経ってたのにまたもやビックリ!!
母曰く、「検査室から車椅子で出てきたから驚いちゃったわよ~」。
で、ですよね?!アタシが付き添いの立場でも、驚くし心配するわ・・・。
そうこうしてる間に「先生から説明がありますよ」と呼ばれて、母と二人で話を聞くことに。
ここでようやく、さっきの先生が2回目の診察の先生だと気がついたのだった。
まず見せられたのが、さっきまでカメラで見てた腸内の画像。
これが大腸で、これがS字結腸で・・・と、何枚かの画像を見せてもらったんだけど、どれもこれもマダラヘビ状態。
本来、腸内は綺麗なピンク色なのに、一面びっしりと黒い斑点が浮き出てる・・・。
一目見て、「うわっ!!これはヤバいな・・・」と思ったし、隣の母も絶句してたのが判った。
先生は「自分は腸の専門じゃないから、まだ断定は出来ないんだけど・・・」と前置きをしてから、「帰蝶さんの病気は、潰瘍性大腸炎の可能性が強いです」と一言。
聞き覚えのない病名に、頭の中は???で一杯になってしまった。
え?なにソレ?聞いたことないんだけど??
たぶんそれは母も同じだったと思うんだけど、ぼんやりして質問出来ない娘に代わって、「それはどういう病気なんですか?」と聞いてくれたような気がする。
その質問を受けて、先生は丁寧に説明をしてくれた。
なんらかの要因で大腸内に潰瘍が出来るため、下痢や下血が続く病気だけれども、原因がはっきりとわかっていない事。
その為に『特定疾患』という難病の指定を受けている病気である事。
そして、この病気は原因が判っていないので、症状がよくなることはあっても完治することはないという事。
どれもこれも予想すらしていなかった話で、頷いたもののすぐには理解できなかった。
原因がわからない?
難病ってどういうこと?
完治しないって、一生治らないってこと?
母娘揃って「そうなんですか・・・」しか言えずにいると、「あまり聞いた事のない病気ですよね?でも、若い人に最近多いんです」と言ってから、断定は出来ないけど、おそらく間違いないので、どんな病気か知っておいたほうがいいと、先生は冊子を何冊かくれた。
そして、自分の上司が大腸を専門に診ていて、この病気にも詳しいので明日予約を入れておきますと言われて、とりあえずの説明が終了。
家に帰って、さらっと冊子を読んで、翌日には「やっぱり潰瘍性大腸炎ですね」との診断が。
この日から、アタシはUC患者としてデビュー(?)したのでした。
はー、遭遇篇はこれにて終了。
次回はデビュー篇をお送りいたします。(笑)
これで遭遇篇は終わりなので、暫しお付き合い下さいマセ。
自宅からS医大までは、車で10分弱。
かなり近距離だと思うんだけど、いつトイレに駆け込んでもおかしくない状態のままだったから、相当ドキドキな10分弱だった。
案の定、病院に入ってすぐトイレに駆け込んで、篭ること10分。
付き添ってくれた母は、中で倒れてるんじゃないかと思ったらしい。(苦笑)
ヨロヨロしながら検査の受付をすると、次にトイレに行ったら状態を確認したいので、流さないで呼んでくれとのこと。
これがなんだかものすごく屈辱的に感じて、本当に嫌だったな・・・。
しかも見てもらったら、「まだ検査できる状態じゃないから、あと2~3回トイレに行ったら、又呼んでくださいね」ときたもんだから、ビックリ!!
もうすぐにでも検査してもらえると思ってたから、かなりショックだったし、待合のベンチに座ってるのも辛かった。
ベッドを用意しましょうか?と聞かれたんだけど、そうするとトイレにすぐ行けないかもと思って、丁重にお断りして、トイレの傍のベンチで半ば倒れこんでたワタクシ。
それから小1時間して、ようやくGOサインが出たので、検査室へ。
受付後すぐに検査着と穴あきパンツに着替えて、コンタクトも外してたので、ずーっと下見ながら歩いてたら、看護師さんに支えられてしまう羽目に。
単に裸眼の視力が両目とも0.1以下で、しかも乱視が入ってるから、ちょっとした段差で躓かないように下を見てたんだけどね。(笑)
で、左側を下にして検査台に上がって、検査しやすいように鎮静剤を入れてもらったんだけど、内視鏡検査で一番痛かったのは、この鎮静剤が注入された時だった。
手の甲から点滴の要領で針を刺されて、「薬液が身体に入る時に、ちょっと痛いけどガマンしてね」と言われたんだけど、我慢しきれずに思わず声を上げてしまうくらいで、薬液が血管を通ると電流が走ったみたいにビビビっとなるの!
現在までに計3回内視鏡検査してるけど、この時の鎮静剤が一番痛かった。
鎮静剤が効いてくると、ちょっと意識が遠のく感じで、特にこの時は殆ど意識がなかった。
一応、自分からもモニターが見えるんだけど、目が悪いせいもあってハッキリ見えないし、体力的にも限界だったんだと思う。
検査中に「大丈夫?」とか、「やっぱりご飯は食べられなかった?」とか色々聞かれた気がするんだけど、それにちゃんと答えてたのかも定かじゃないんだよなぁ。
2回目に診てくれたお医者さんが、内視鏡もやってくれたんだけど、検査後の説明の時まで誰が検査してるのか判らなかったので、「このお医者さんはダレなんだろう?やけに色々聞くな・・・」とか思ってたりした。(苦笑)
たぶん30分もしないで検査は終了。
結局、検査台から上手く立ち上がれなくて、車椅子で休憩室まで運ばれたらしい。
というのも、検査の後半はホントに意識がなかったので、いつ終わったのかも判らなかった。
気がついたら点滴してて、リクライニングチェアに寝てたって感じ。
一瞬、どこにいるか判らなくてキョロキョロしてたら、看護師さんに「ゆっくり立って、立てそうなら着替えて待合で待っててください」と言われたので、点滴を抜いてもらって着替えてから待合室へ。
検査が終わってから、どのくらい時間が経ってるのか全く判らず、とりあえず待合のベンチで待ってる母を探して聞いてみると、1時間以上経ってたのにまたもやビックリ!!
母曰く、「検査室から車椅子で出てきたから驚いちゃったわよ~」。
で、ですよね?!アタシが付き添いの立場でも、驚くし心配するわ・・・。
そうこうしてる間に「先生から説明がありますよ」と呼ばれて、母と二人で話を聞くことに。
ここでようやく、さっきの先生が2回目の診察の先生だと気がついたのだった。
まず見せられたのが、さっきまでカメラで見てた腸内の画像。
これが大腸で、これがS字結腸で・・・と、何枚かの画像を見せてもらったんだけど、どれもこれもマダラヘビ状態。
本来、腸内は綺麗なピンク色なのに、一面びっしりと黒い斑点が浮き出てる・・・。
一目見て、「うわっ!!これはヤバいな・・・」と思ったし、隣の母も絶句してたのが判った。
先生は「自分は腸の専門じゃないから、まだ断定は出来ないんだけど・・・」と前置きをしてから、「帰蝶さんの病気は、潰瘍性大腸炎の可能性が強いです」と一言。
聞き覚えのない病名に、頭の中は???で一杯になってしまった。
え?なにソレ?聞いたことないんだけど??
たぶんそれは母も同じだったと思うんだけど、ぼんやりして質問出来ない娘に代わって、「それはどういう病気なんですか?」と聞いてくれたような気がする。
その質問を受けて、先生は丁寧に説明をしてくれた。
なんらかの要因で大腸内に潰瘍が出来るため、下痢や下血が続く病気だけれども、原因がはっきりとわかっていない事。
その為に『特定疾患』という難病の指定を受けている病気である事。
そして、この病気は原因が判っていないので、症状がよくなることはあっても完治することはないという事。
どれもこれも予想すらしていなかった話で、頷いたもののすぐには理解できなかった。
原因がわからない?
難病ってどういうこと?
完治しないって、一生治らないってこと?
母娘揃って「そうなんですか・・・」しか言えずにいると、「あまり聞いた事のない病気ですよね?でも、若い人に最近多いんです」と言ってから、断定は出来ないけど、おそらく間違いないので、どんな病気か知っておいたほうがいいと、先生は冊子を何冊かくれた。
そして、自分の上司が大腸を専門に診ていて、この病気にも詳しいので明日予約を入れておきますと言われて、とりあえずの説明が終了。
家に帰って、さらっと冊子を読んで、翌日には「やっぱり潰瘍性大腸炎ですね」との診断が。
この日から、アタシはUC患者としてデビュー(?)したのでした。
はー、遭遇篇はこれにて終了。
次回はデビュー篇をお送りいたします。(笑)
ではでは、続きをば・・・。
なんやかんやあって、調子を崩してからS医大病院に行くまでに、結局2週間弱が経過。
S医大に行った時には、もうかなり体力も気力もなくて、記憶もかなり薄かったりする・・・。
確か母親が先に電話を入れといてくれて、状況によっては救急車で来てくださいと言われた気もするんだけど、救急車が嫌で車で連れてってもらったんじゃなかったかな?
そんで大学病院特有の初診受付にえらい時間がかかって、受付票の記入の時には、もうまっすぐ座ってられなかったから、受付の人に「大丈夫?もうちょっと頑張ってね」と励まされたのを、すごくハッキリと覚えてる。(苦笑)
どうにか内科受付までたどり着いて、まずは受診前の問診みたいのを受けた。
今の状態とか、過去の病歴とか、妊娠の有無とか、問診票にも書いたことを更に口頭で確認っていう手順だったんだけど、それが異常に長くて辛かったなぁ。
今考えれば、これが終わってようやく、内科の中でどの担当の先生が診てくれるのかが決まったんだと思う。
その時は全然そんな事に思い至らなかったので、ただただ痛みに耐えてフラフラだったけど。
この問診の後ぐらいから、どうやら傍目に見ても普通じゃない状態だったらしく、内科待合の看護師さんが処置用のベッドを空けてくれて、診察を待つ間はずっと横になってることに。
採血室にも行かなきゃいけなかったんだけど、それもベッドでやってくれた。
S医大では耳鼻科と眼科でかかったことあるんだけど、どっちも看護師さんが結構そっけない感じだったから、内科の看護師さんの優しさにちょっと感動したりもした 。・゚・(ノД`)
ようやく診察してもらって、ここでも初回は様子見と言われて、薬が処方されたような・・・。
翌日の予約をした気がするんだけど、ちょっと記憶が定かじゃないんだよね。
内視鏡の説明を聞いたのが、2回目の診察だったはずだから、多分初回はビオフェルミンとなんかを貰ったはず。
で、翌日の診察で幾つか病名を挙げられて、はっきりしたことは内視鏡で確かめてみないと判らないから、内視鏡検査をしましょうと言われたのだ。
この時挙がってた病名は、虚血性大腸炎とか炎症性腸疾患だった気がする。
自分で調べた時も、虚血性大腸炎なのかな?と思ってたし、なんとなく酷い胃炎みたいな感じなんだろうなとか思ってた訳です。
まぁ、どっちにしてもそれをやんなきゃ判んないっていうなら、やるしかないじゃ~ん!
と、初めは比較的前向きだったアタシも、先生の説明を聞くうちに衝撃を受けることに・・・。
同じ内視鏡でも以前飲んだことのある胃カメラは、文字のごとく『飲む』ので口から入れるのに対して、大腸にカメラを入れるのは肛門から。
尚且つ、暫く食べてないし、ずーっと下痢&下血で粘液みたいな便しか出ないっていうのに、検査日当日は朝から約2Lの下剤を飲まなくてはいけないですって?!
ホント、勘弁してくれよ・・・と、正直思いましたよ。出来ることなら、断りたかった。(泣笑)
そういう訳にもいかないので、指示された通り低残渣検査食(腸の中にカスが残りにくくなる食事)と検査用のパンツ(後ろ側がパックリ割れてるやつ)を買って、その日は帰宅。
低残滓検査食は、検査前日の昼食からなんだけど、全然食欲が湧かなくて、結局殆ど食べなかった。
ちなみに昼食は、カロリーメイトみたいなビスケットとリンゴ味の飲むゼリー。
夕食はささみ粥とコンソメスープで、間食用に透明な飴が一個とハーブティーが入ってたんだけど、食べたのは飴とささみ粥半分とコンソメスープだけ。
リンゴ味のゼリーは後日飲んだけど、これは普通に美味しかったな。
で、問題は検査用の下剤だ・・・。orz
寝る前に小さな容器にはいった下剤(ラキソベロン)を飲むんだけど、検査の説明をしてもらった時に「これを飲むと、夜中に何度も起きちゃうかもしれないけど頑張ってね」と看護師さんに言われたものの、既に夜中1時間おきにきっちりトイレに駆け込んでたので、これは全く問題なし。
翌朝6時から2時間くらいかけて飲まなきゃならなかったスポーツドリンクもどきの下剤(マグコロールP)が、ホントに辛かった~。(涙)
「自宅と病院が近いから家で飲んできていいよ」と言われてて、あまつさえ「飲みにくいと思うから冷やした方がいいよ」とのアドバイスを受けてなかったら、乗り切れなかったと思う。
ホントにマズいし、気持ち悪くなるし、すごい勢いでトイレ行きたくなるし、なのに排泄物が透明な黄色になるまで続けなくちゃいけないし、もう散々でしたわ。
それでも途中で襲ってくる吐き気と闘いつつ、10分に1回ペースでトイレに駆け込み、飲み始めてから一時間半くらい経った所で、どうにか検査OKと思われる状態になったので、ようやく病院へ向かうことに・・・。
またもや長くなったので、続きは後ほど。
なんやかんやあって、調子を崩してからS医大病院に行くまでに、結局2週間弱が経過。
S医大に行った時には、もうかなり体力も気力もなくて、記憶もかなり薄かったりする・・・。
確か母親が先に電話を入れといてくれて、状況によっては救急車で来てくださいと言われた気もするんだけど、救急車が嫌で車で連れてってもらったんじゃなかったかな?
そんで大学病院特有の初診受付にえらい時間がかかって、受付票の記入の時には、もうまっすぐ座ってられなかったから、受付の人に「大丈夫?もうちょっと頑張ってね」と励まされたのを、すごくハッキリと覚えてる。(苦笑)
どうにか内科受付までたどり着いて、まずは受診前の問診みたいのを受けた。
今の状態とか、過去の病歴とか、妊娠の有無とか、問診票にも書いたことを更に口頭で確認っていう手順だったんだけど、それが異常に長くて辛かったなぁ。
今考えれば、これが終わってようやく、内科の中でどの担当の先生が診てくれるのかが決まったんだと思う。
その時は全然そんな事に思い至らなかったので、ただただ痛みに耐えてフラフラだったけど。
この問診の後ぐらいから、どうやら傍目に見ても普通じゃない状態だったらしく、内科待合の看護師さんが処置用のベッドを空けてくれて、診察を待つ間はずっと横になってることに。
採血室にも行かなきゃいけなかったんだけど、それもベッドでやってくれた。
S医大では耳鼻科と眼科でかかったことあるんだけど、どっちも看護師さんが結構そっけない感じだったから、内科の看護師さんの優しさにちょっと感動したりもした 。・゚・(ノД`)
ようやく診察してもらって、ここでも初回は様子見と言われて、薬が処方されたような・・・。
翌日の予約をした気がするんだけど、ちょっと記憶が定かじゃないんだよね。
内視鏡の説明を聞いたのが、2回目の診察だったはずだから、多分初回はビオフェルミンとなんかを貰ったはず。
で、翌日の診察で幾つか病名を挙げられて、はっきりしたことは内視鏡で確かめてみないと判らないから、内視鏡検査をしましょうと言われたのだ。
この時挙がってた病名は、虚血性大腸炎とか炎症性腸疾患だった気がする。
自分で調べた時も、虚血性大腸炎なのかな?と思ってたし、なんとなく酷い胃炎みたいな感じなんだろうなとか思ってた訳です。
まぁ、どっちにしてもそれをやんなきゃ判んないっていうなら、やるしかないじゃ~ん!
と、初めは比較的前向きだったアタシも、先生の説明を聞くうちに衝撃を受けることに・・・。
同じ内視鏡でも以前飲んだことのある胃カメラは、文字のごとく『飲む』ので口から入れるのに対して、大腸にカメラを入れるのは肛門から。
尚且つ、暫く食べてないし、ずーっと下痢&下血で粘液みたいな便しか出ないっていうのに、検査日当日は朝から約2Lの下剤を飲まなくてはいけないですって?!
ホント、勘弁してくれよ・・・と、正直思いましたよ。出来ることなら、断りたかった。(泣笑)
そういう訳にもいかないので、指示された通り低残渣検査食(腸の中にカスが残りにくくなる食事)と検査用のパンツ(後ろ側がパックリ割れてるやつ)を買って、その日は帰宅。
低残滓検査食は、検査前日の昼食からなんだけど、全然食欲が湧かなくて、結局殆ど食べなかった。
ちなみに昼食は、カロリーメイトみたいなビスケットとリンゴ味の飲むゼリー。
夕食はささみ粥とコンソメスープで、間食用に透明な飴が一個とハーブティーが入ってたんだけど、食べたのは飴とささみ粥半分とコンソメスープだけ。
リンゴ味のゼリーは後日飲んだけど、これは普通に美味しかったな。
で、問題は検査用の下剤だ・・・。orz
寝る前に小さな容器にはいった下剤(ラキソベロン)を飲むんだけど、検査の説明をしてもらった時に「これを飲むと、夜中に何度も起きちゃうかもしれないけど頑張ってね」と看護師さんに言われたものの、既に夜中1時間おきにきっちりトイレに駆け込んでたので、これは全く問題なし。
翌朝6時から2時間くらいかけて飲まなきゃならなかったスポーツドリンクもどきの下剤(マグコロールP)が、ホントに辛かった~。(涙)
「自宅と病院が近いから家で飲んできていいよ」と言われてて、あまつさえ「飲みにくいと思うから冷やした方がいいよ」とのアドバイスを受けてなかったら、乗り切れなかったと思う。
ホントにマズいし、気持ち悪くなるし、すごい勢いでトイレ行きたくなるし、なのに排泄物が透明な黄色になるまで続けなくちゃいけないし、もう散々でしたわ。
それでも途中で襲ってくる吐き気と闘いつつ、10分に1回ペースでトイレに駆け込み、飲み始めてから一時間半くらい経った所で、どうにか検査OKと思われる状態になったので、ようやく病院へ向かうことに・・・。
またもや長くなったので、続きは後ほど。
ワタクシが潰瘍性大腸炎という病気を知ったのは、2005年の8月のこと。
まずは、ここから綴ってみましょうかね。
当時、某通販のコールセンターに勤め始めて約半年。
ようやく仕事にも慣れて、もう少しで有給も取れるし、趣味の観劇予定も盛り沢山だったし、お友達と大好きなミュージカルの上映会と称して、池袋のカラオケボックスでオールしたり、同僚と呑みに行ったりとけっこう楽しい毎日を送ってた訳です。
でも実は、7月の半ばくらいからお腹の調子が悪くて、滅多に下痢なんてしないのにどうしたんだろうな?と自分でも不思議に思ってたんだよなぁ。
丁度その直前に呑み慣れないワインを飲んだり、殆ど食べないブルーチーズを食べたりしてたから、きっとそのせいだろうと思って暫く放置してたら、7月の終わりには便に血が混ざりだして、コレはヤバいかも・・・?と思いつつも、普通に仕事に行ってた。
8月に入ってからは、トイレの回数も増え始めて、気がつけば便器が真っ赤に染まる程の下血とお腹の左側が痛み出して、これはいよいよオカシイと地元の街医者に。
2年くらい前にも血便が続いた時期があって、腸炎と診断されたことがあって、その時と同じお医者さんに診てもらったら、初めは「痔じゃないの?」とのこと。
自分でも一時期はそうかもしれないと思ってたんだけど、便器を見る度に明らかに違う気がして、「いえ、違うと思います」と言うと、とりあえず薬で様子を見ましょうと言われて、5日分の薬を受け取って帰宅。
この時の薬を覚えてないんだけど、確か3種類貰って、うち一つはビオフェルミンだった。
ところが2日もしないうちに痛みが酷くなって、仕事にも行けない状態に。
下血も酷くなる一方で、水を飲んでもトイレに行きたくなるので、この頃からご飯が食べられなくなり、ちょっと本格的に駄目かもしれないと思い始めた。ヽゝ゚ ‐゚νダメナノネ・・・
元々、食べるのが大好きで熱があろうが、頭が痛かろうが、食欲だけは旺盛なはずなのに、一日の食事がウィダーインゼリー一個だけとか、ヨーグルト一個と麦茶とか、ありえない事に!!
最初の街医者に罹ってから、3日目。
これはセカンドオピニオンが必要だろうと思って、ネットで自分の症状に当てはまる病気を調べて、専門医を探すことにした。
この段階でも、まだUCには行き当たらず、とりあえず消化器系に強いお医者さんに辺りをつけて探した所、近所の個人医院で消化器系の専門を見つけたので、そこに行くことに。
アタシの頭の中では、ここで診てもらって、紹介状を書いてもらって、それから大学病院に行こうと決めてた。
確か去年の4月からかかりつけ医制度みたいのが出来てて、いきなり大学病院とか総合病院に行くと、初診料取られるし、待たされるから嫌だなぁと思ってたのだ。
そんな下心(?)がいけなかったのか、ただ単に消化器系の専門といえど街医者だからなのか、やっぱりここでも「痔じゃないんですか?」と言われるハメに。
痛いし、辛いし、この辺りからは熱も出てたから、けっこうな勢いで「違います!」と申告したところ、このお医者さんも薬で様子見との診立てで、尚且つ初めにいった街医者で貰った薬が全く効果がないと言ったら、「じゃあ、漢方で処方しましょう」と言われてガックリ・・・ (((´・ω・`)
小さな頃から偏頭痛が酷かったり、鼻炎が酷かったりしたので、ちょくちょく医者通いをしていたワタクシ。
ある時期にかかってたお医者さんに処方された漢方薬が全然効果がなくて、暫くしてから「アナタは長いこと化学薬を飲んでたから、漢方が効かない体質になってるかもしれないね」と言われたことを思い出したんだけど、一応お医者さんが言うんだから飲んでみるかと諦めて、「じゃあ、3日後にまた来て下さい」と見送られて帰宅。
が、案の定この漢方薬も全く効果がなくて、夜も寝てても1時間に1回ペースで痛みと便意に飛び起きるようになってしまったので、3日も待ってられないし、同じトコ行っても最終的に別の病院に行けって言われるくらいならと、隣駅のS医大病院に行く覚悟を決めたのだった。
ちょっと長くなってきたので、続きはまた後ほど・・・。
まずは、ここから綴ってみましょうかね。
当時、某通販のコールセンターに勤め始めて約半年。
ようやく仕事にも慣れて、もう少しで有給も取れるし、趣味の観劇予定も盛り沢山だったし、お友達と大好きなミュージカルの上映会と称して、池袋のカラオケボックスでオールしたり、同僚と呑みに行ったりとけっこう楽しい毎日を送ってた訳です。
でも実は、7月の半ばくらいからお腹の調子が悪くて、滅多に下痢なんてしないのにどうしたんだろうな?と自分でも不思議に思ってたんだよなぁ。
丁度その直前に呑み慣れないワインを飲んだり、殆ど食べないブルーチーズを食べたりしてたから、きっとそのせいだろうと思って暫く放置してたら、7月の終わりには便に血が混ざりだして、コレはヤバいかも・・・?と思いつつも、普通に仕事に行ってた。
8月に入ってからは、トイレの回数も増え始めて、気がつけば便器が真っ赤に染まる程の下血とお腹の左側が痛み出して、これはいよいよオカシイと地元の街医者に。
2年くらい前にも血便が続いた時期があって、腸炎と診断されたことがあって、その時と同じお医者さんに診てもらったら、初めは「痔じゃないの?」とのこと。
自分でも一時期はそうかもしれないと思ってたんだけど、便器を見る度に明らかに違う気がして、「いえ、違うと思います」と言うと、とりあえず薬で様子を見ましょうと言われて、5日分の薬を受け取って帰宅。
この時の薬を覚えてないんだけど、確か3種類貰って、うち一つはビオフェルミンだった。
ところが2日もしないうちに痛みが酷くなって、仕事にも行けない状態に。
下血も酷くなる一方で、水を飲んでもトイレに行きたくなるので、この頃からご飯が食べられなくなり、ちょっと本格的に駄目かもしれないと思い始めた。ヽゝ゚ ‐゚νダメナノネ・・・
元々、食べるのが大好きで熱があろうが、頭が痛かろうが、食欲だけは旺盛なはずなのに、一日の食事がウィダーインゼリー一個だけとか、ヨーグルト一個と麦茶とか、ありえない事に!!
最初の街医者に罹ってから、3日目。
これはセカンドオピニオンが必要だろうと思って、ネットで自分の症状に当てはまる病気を調べて、専門医を探すことにした。
この段階でも、まだUCには行き当たらず、とりあえず消化器系に強いお医者さんに辺りをつけて探した所、近所の個人医院で消化器系の専門を見つけたので、そこに行くことに。
アタシの頭の中では、ここで診てもらって、紹介状を書いてもらって、それから大学病院に行こうと決めてた。
確か去年の4月からかかりつけ医制度みたいのが出来てて、いきなり大学病院とか総合病院に行くと、初診料取られるし、待たされるから嫌だなぁと思ってたのだ。
そんな下心(?)がいけなかったのか、ただ単に消化器系の専門といえど街医者だからなのか、やっぱりここでも「痔じゃないんですか?」と言われるハメに。
痛いし、辛いし、この辺りからは熱も出てたから、けっこうな勢いで「違います!」と申告したところ、このお医者さんも薬で様子見との診立てで、尚且つ初めにいった街医者で貰った薬が全く効果がないと言ったら、「じゃあ、漢方で処方しましょう」と言われてガックリ・・・ (((´・ω・`)
小さな頃から偏頭痛が酷かったり、鼻炎が酷かったりしたので、ちょくちょく医者通いをしていたワタクシ。
ある時期にかかってたお医者さんに処方された漢方薬が全然効果がなくて、暫くしてから「アナタは長いこと化学薬を飲んでたから、漢方が効かない体質になってるかもしれないね」と言われたことを思い出したんだけど、一応お医者さんが言うんだから飲んでみるかと諦めて、「じゃあ、3日後にまた来て下さい」と見送られて帰宅。
が、案の定この漢方薬も全く効果がなくて、夜も寝てても1時間に1回ペースで痛みと便意に飛び起きるようになってしまったので、3日も待ってられないし、同じトコ行っても最終的に別の病院に行けって言われるくらいならと、隣駅のS医大病院に行く覚悟を決めたのだった。
ちょっと長くなってきたので、続きはまた後ほど・・・。
ども、ハジメマシテ。
あんまり真面目じゃないUC患者の帰蝶と申します。
詳しい事は追々綴っていきますが、つい先日まで入院してました。
UCと診断されてから、初の入院だったので、「あぁ、アタシは病持ちなんだなぁ」としみじみ。
何時になく色んな事を考えたり、反省したり、泣いたりと盛りだくさんな入院生活でした。(笑)
でも、家族も友達も同僚も、すごく心配してくれてるだけに、自分の不安をなかなか話せなくってねぇ。
そんな諸々を吐き出す場所が欲しくなって、ブログを始めました。
病んでいながら自分の病に対しての知識もあまり深くないし、UC歴もまだまだ浅いので。
本当に戯言ばかりが並ぶこととなりましょうが、まぁお付き合い下さいませ。
あんまり真面目じゃないUC患者の帰蝶と申します。
詳しい事は追々綴っていきますが、つい先日まで入院してました。
UCと診断されてから、初の入院だったので、「あぁ、アタシは病持ちなんだなぁ」としみじみ。
何時になく色んな事を考えたり、反省したり、泣いたりと盛りだくさんな入院生活でした。(笑)
でも、家族も友達も同僚も、すごく心配してくれてるだけに、自分の不安をなかなか話せなくってねぇ。
そんな諸々を吐き出す場所が欲しくなって、ブログを始めました。
病んでいながら自分の病に対しての知識もあまり深くないし、UC歴もまだまだ浅いので。
本当に戯言ばかりが並ぶこととなりましょうが、まぁお付き合い下さいませ。